2012年10月11日木曜日

核はクソ ゴチャゴチャの文章


福島原発事故後から福島県郡山市で生活していて思うことを思うままにつらつらと。
過去、原発のことについてはチラホラ書いたが、この問題、纏めよう纏めようと思えば思うほど纏まらない。ただ、思うところはどうしても記述したいので思うままにブチ撒けてみる。読みにくいと思います。読む人にとっては恐らく不快で見当違い。ゴー。

これから先のこと
これから先どうしよう。といつも思う。どうしよう、というよりは、一体どうりゃいいの?という心情。
放射線の影響について色々調べてはみたものの、結局のところ、わからない。チェルノブイリ原発事故の際に住人が強制退避させられたプリピャチ市よりも福島県の方が空間線量が高い。過去に人間がこれだけの長期間にわたって低線量被爆をした経験がない。当然データもない。5年後、10年後に何が起こるか誰にもわからない。将来、実際に子どもの身体に異常が現れた場所がホットスポットになるだろう。県外へ、はたまた海外へ移り住むことも考えた。全然可能。楽勝だ。ただし親を置いては行けない。どうだろう。例えば仮にドイツに移住するとして、海外生活経験のない俺の父上と母上。約60年住んだ土地を離れ、言葉も通じない場所で生活を始めるのは、いくら放射能の恐怖の呪縛から開放されると言えどもそれは当人達にとって幸せだろうか?思ったように生きれるだろうか?何なら俺と嫁ちゃんと子どもだけでも九州に住むのはどうだろうか?そしたらたまには飛行機で孫を見せに福島に帰ろうか。冗談じゃねえ。こんなクソみたいな国のやり方には俺は迎合しない。今思えるベストな方法は、希望する家庭に避難する権利を与えることだと思う。いつまで続ければいいのか、一体どれくらいの効果が見込めるのか余りにも怪しい除染費用に400兆ものカネを注ぎ込むならばその方が断然マシ。ああ、これから先どうしよう。

食べ物
子どもの食べ物には気を遣い、なるべく福島県から離れた土地で採れた食べ物を選ぶ日々。値段や種類よりもまず産地の確認。アホみたい。ここ最近よく食べる野菜はアメリカ産のブロッコリー。国産、の表記から溢れ出す不安。じゃあ、加工食品はどうか。外食は?この辺も実際のところはわからない。食べ物に関してついでに言うと、国は一次産業で生計を立ている人たちをナメ過ぎ。福島県では今も事故以前と同じように野菜も米も作られている。原発事故の影響によってどの位作物の売上に影響が出たか調べた上で補償する、という狂ったやり方を東電と国が示しているため、農家は作るしかない。恐らく売れずに棄てられるであろう作物に手間をかけていると思うとマジで憤りを感じる。かと思えば一部メディアでは「食べて応援」コール。高度なブラックジョークだとしか思えない。

原発の行く末と国の思惑
事故以前、原発は何も無い場所に雇用を生み出す魔法の杖だった。事故で魔法は切れて本当の姿が現れた。日本は未だに途上国に原発と付随する技術を売り込みたい。「こんな酷い事故があっても、なんだかんだで大丈夫でしたよ。どうですか、日本の安全な原子力発電所をあなたの国にも。儲かりますよ。」と。電気が足りない、全然足りない!といいつつバッチリ足りているにも関わらず未だに原発を停止しないのはそういった思惑があるから、という気がしてならない。それと原発止めちゃったらカネにならないからね。廃炉にするだけでン十年とかかるくせに、その間はカネがかかる一方なのだから。

やはり纏まらない。また書きます。

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