2012年7月25日水曜日

深層心理 だめドリ


仮説。人間は他人からの言葉ではなく他でもない「自分自身が発する言葉」によって説得され納得するんじゃないか?説。

先日のスタジオ練習後にメンバーと談笑中、仕事について「私はバンドの練習がとても楽しい。ライブもとても楽しい。練習もライブもない休日に家族と過ごし、ムスメと遊ぶのも最高に楽しい。しかし最近は仕事に身が入らない。平素と仕事の気持ちにギャップがありすぎる。一日の大部分を職場で過ごしているのにも関わらずその時の気持を例えるならば腐ったセピア色。腐れセ色。感情は死に、目はまるでスーパーマーケーットで氷の入った発泡スチロールに同じ向きで陳列されている死んだスルメイカの目。死にイカ目。食うための手段とは言え、このまま行けば人生の大半の時間を費やすであろうことに腐れセ色死にイカ目で臨むのはどうなのか。果たしてこのままの状態を続けてよいものだろうか。」という旨を薄給であることも祟り、口に出して話した。

その日未明、夢が夢であることを認識できるいわゆる明晰夢をみた。
突然、どこからともなく「今日の仕事場はあっち。急げ。」の声がし、結構な距離を車ですっ飛ばしその仕事場とやらに到着。そこは年季の入った給食室のような場所で、至る所に古い油がベッタリ付着している。俺はいつの間にか研究室で働く人が着るような全身白衣に着替えていて、周りには沢山の人。同じように全身白衣で、俺以外全員が見たところ10代後半~20代前半の女性。「ハッ、新しい仕事の夢。これは何かの啓示なのでは!」と思いながら業務を始める俺含め一同。業務内容が全くの謎で、縦一列に並び、冷や飯を球状に握り(おにぎりのフォルムではなく完全にボール。)ひたすら大きなバットに詰めつつ時折前の人から渡される揚げたての海老天を後ろの人にパスする、という内容だった。「早く作ればいいのか。」と思い、俺は郡を抜いたスピードでボール状の飯を次々に作りバットにぶち込んだ。他の人がまだバット2枚分しか作っていない段階で既に俺はバット6枚分のボール飯を完成させている。ボール飯はすべて同じサイズ。我ながら素晴らしいスピードで丁寧な仕事だ。そこへオレンジ色のワイシャツと紫のネクタイを締めた色黒で小太りの管理職のようなオヤジがやってきて、首から提げた勤怠表を記入しながら真っ直ぐ俺の方に向かってきて俺だけに話しかけた。そのオヤジは俺に「貴様の仕事は非常に雑だ。」と言い放った。と同時に俺は「ああもう、こんな仕事はしていられん。納得が行かず非常に不愉快。帰る。」と思い、そこで目が覚めた。一体何の因果で夢の中でまで腐れセ色死にイカ目の心情にならなければいけないのだ。非常に不快な目覚めだった。

といった実体験(スタジオ後の会話も夢の内容もマジ。)から分かるように、自分自身の発する言葉は深層心理まで染み込む説得力を持っている。という仮説が証明される。

0 件のコメント:

コメントを投稿